“死”を想える場所は、都市にあるのか—都市と循環2026

イベント

あなたの暮らしの中に、ふと立ち止まって“死”や“終わり”を想える場所はありますか?

5月14日から16日にかけて、京都・二条エリアで開催された「都市と循環2026」。展示ブースでは、来場者にこの問いへの答えを葉っぱ型の付箋に書き込んでもらいました(※1)。

一人暮らしの自分の家、祖父母との家族写真、海、森、山、Facebook……。

集まった言葉の多くは、個人的な記憶や自然の風景でした。一方、「公共の場所」を書いた人は、35枚(※2)ほどの付箋でたった一人。そこには「公園で、アリが虫を運んでいるのを見たとき」と書かれていました。

死や終わりを想う場所は、暮らしの中にある。けれど都市の風景からは、「死」が抜け落ちている——付箋の偏りは、その不在を示しているようでした。

人の死から、自然やモノの終わりまで。私たちの暮らす都市は、いつから「死」を遠ざけるようになったのでしょうか。施設に閉じ込められた死が、文化や対話を通して、循環の一部として暮らしの中に「ある」とは、どのようなことなのでしょうか。

自然・祖先・未来世代をめぐる相互ケアを探究する「Deep Care Lab」代表の川地真史さんと、循環葬®︎「RETURN TO NATURE」を運営する at FOREST代表の小池友紀。異なる実践を行う二人が、「死を包摂する都市」の可能性について語り合いました。

排除と包摂、サンフランシスコとメキシコの事例

都市が死を排除するとはどういうことか、そして死を包摂するとはどういうことかを、お二人と探っていきたいと思います。小池さんは、死が排除された街として、サンフランシスコを訪れたそうですね。

小池 :
サンフランシスコ近郊にある「コルマ」は、「死者の街」と呼ばれています。近代化の開発のため、サンフランシスコ市内のお墓がすべてこの街に強制移転させられた歴史があり、見渡す限りお墓が広がっています。街全体がどんよりしていて、住民の生活感もほとんどありません。
実は日本でも、似た構造があります。自治体への許可申請で墓地に関する条例を見ると「植樹等により、隣接地等外部と明確に区分されること」とあるなど、ひらけた空間は最初から想定されていません。「死は隠すもの」という前提で制度ができているんです。

川地さんも食肉処理場のフィールドワークで、近いものを感じられたそうですね。

川地 :
昨年、生き物の弔いをテーマに京都市の食肉処理場を見学しました。1階で、1日に100頭ほどの牛、100〜150頭の豚が屠殺されている。でも、見学者はその2階フロアから、ガラス張り越しに見下ろす設計になっているんですね。同じ地平で向き合うのではなく、「神の視点」から眺めるような構造になっている。
腐敗臭もせず、命を奪う瞬間も建物の影に隠れて見えません。死の実情を知りに行ったはずなのに、むしろ遠ざかっていく感覚が強く残りました。
小池 :
現代の一般的な埋葬の現場でも、同じことが起きています。ご遺骨をお墓に納めるという、本来であれば最後のお別れとなる大切な場面であっても、その行為は業者に委ねられます。家族はただ見守るだけの存在になってしまっているのです。

「配慮」が死を遠ざけているのかもしれませんね。一方で、メキシコではまったく逆の風景があったとか。

川地 :
メキシコの「死者の日」では、パレードでお祭り騒ぎの中、カフェや広場などに祭壇が立ち、街中で死のとても生々しい距離感を感じられるんです。
夜の墓地にもたくさんの人が集まっているのですが、この時間が衝撃でした。ギターを抱えたおじちゃんに頼んでポップな音楽を演奏してもらっている家族のすぐ隣で、亡くなったばかりの故人を悼む家族がしっとりと泣いている。お祭り騒ぎと、深い悲しみが、同じ公共の場に共存しているんです。
多様な感情を一人の中に同時に抱えられるような場として、祭りが街にひらかれている。それが強く印象に残りました。

手で触れる、つながり直す—循環葬とモバイル貝塚

お二人の実践は、都市から遠ざけられた死との関係を、もう一度考え直すものでもあります。循環葬は、どのような埋葬法なのでしょうか?

小池 :
墓標も何も残さず、土壌学を専門とする研究者の監修のもと、ご遺骨を森林の土の中に埋葬するものです。火葬後のご遺骨をパウダー状にし、森から掘り出した土と混ぜて埋葬することで、やがては樹木の栄養となり、自然の循環へと還っていきます。
特徴的なのは、ご遺族ご自身の手で、ご遺骨と土を混ぜていただくことです。はじめは怖がられるかと思いましたが、「綺麗な遺骨だね」と皆さん躊躇なく混ぜてくださる。ご遺骨のついた土をご自身の体に塗る方もいるほど、自然と一体感のある時間が流れます。
川地 :
その感覚、メキシコで「死者のパン」を食べるのと同じですね。死者の日には、祭壇に捧げたパンを家族で分け合って食べる。死者と同じものを口にすることで一つになる、という思想があるようです。
手で触れる、体に取り込むという身体的な動作があるからこそ、隔離ではなく「つながり」を取り戻せるんだと思います。そこには、人は死者ともう一度関わり直したいという想いがあるのかもしれません。
実験に取り組んだ6名のモバイル貝塚を展示。瓶のフタを開けると、周囲に腐敗臭が漂う。写真2枚目/Deep Care Lab提供
川地 :
僕も似たアプローチを、「モバイル貝塚」という実験で試したことがあります。先ほどの食肉処理場の話にも通じますが、人の死に限らず、生き物やモノなど、いろんな死が身近に取り巻いているにもかかわらず、それに目を向ける機会ってなかなかない。
遠ざけられた死との距離をもう一度身体で感じ直してみようと思い、始めました。具体的には、透明な瓶に魚の骨や自分の髪の毛、枯れ葉などを入れ、腐敗されていくプロセスを観察するものです。

においがすごそうですね。

川地 :
生ゴミを超越する臭さです(笑)。土をあまり入れないからか(コンポストのように分解して堆肥化することが目的ではないため)、密閉した瓶の中に凝縮された腐敗臭がこもっています。途中で嫌になるメンバーもいました。
川地 :
ただ、ぐちゃぐちゃに混ざっていく中で、自分が大切にしていたみかんの木も、どうでもいい食べ残しの魚の骨も、瓶の中で等しく共存している。普段、僕らが排除している死の生々しい側面が、そこに立ち現れてくる感じがありました。
「結局、みんな同じところに還るんだな」という感覚は、自分が死んで森に還るとはどういうことか、を考える上で、一つの希望でもあるなと思います。
小池 :
循環葬の森も、ミクロで見ればモバイル貝塚なんですよね。森の中には虫の死骸や腐った倒木が至るところにあって、実はとても生々しい。美しい印象の森も、視点を広げれば、さまざまな生命の死とつながっている。
見学に来られた方で、最後にこうおっしゃった方がいました。
「戸籍や自分の土地にとらわれている自分が、恥ずかしくなってきました」と。
大自然の中で自分のちっぽけさに気づくと、自然に還るのがむしろ当たり前に思えてくるんです。私たちの森は都市から少し離れていて、不便だと言われることもありますが、森での体験を都市に持ち帰っていただくことにこそ意味があると思っています。

森という、ある意味理想的な最期の世界に触れることで、普段は遠ざけている死との距離が自然とほどけていく。だんだんと都市に染み出していく感じですね。

川地 :
おっしゃる通りで、都市の中にも森的なスペースは必要ですが、それだけでは森に実際に行くことには敵わない側面がある。都市と森のあいだを往還する設計をどうつくるかが、すごく大事だと思います

コンパッション都市と、文化としての循環

今日のテーマである「コンパッション(語源は共に苦しむ+分かち合う)都市」。小池さんは、この概念にどう出会ったのでしょうか?

小池 :
以前、一緒にイベントを行った救急医療の医師が教えてくれました。
「自分は毎日死に向き合っているけれど、医療の現場のど真ん中にいる人ほど、一般の社会で死について話す場がない。あなたたちがやっている対話の会こそ、もっと広げていくべきだ」と。
多死社会を迎え、グリーフ(深い悲しみ)を抱える人は増えるのに、それを分かち合う場がない。死を医療や施設から、もっと公共にひらいていく必要があると感じています。
川地 :
人が亡くなったときの悲しみは、当事者じゃないとどうしてもわからない部分がある。でも、分かち合うこと自体がある種の疑似体験になって、自分の経験の機会になっていくと思うんです。
それは人だけじゃなくて、生き物やモノの喪失も含めて、ちゃんと「喪失」として受け止めることで、自分なりの対処の知恵が育っていく。そうした分かち合いの受け皿が、街にもっと増えていくといいと思います。
川地 :
それに加えて、日本のお盆をもう一度解釈し直す、というような方向もあると思っています。メキシコの死者の日のように、「年に一度、このときに死者とつながろう」と続けられる祭りは、世界的に見ても大きな知恵だと思います。こうした祭りや文化を、もう一度考え直していくことが、これからの大事な問いだと思います。
小池 :
救急医療の医師とのイベントは対話形式だったので、参加者の方から個人的なエピソードがたくさん出てきました。皆さん、本当は話したかったんだろうなと思います。
「死について話してもいい場」「話せる時間」が街の中に増えていくと、一人で抱え込まなくて良くなる。そうした世の中になったら、少しだけ生きやすくなるんじゃないかと思いますね。

「死」は特別なものではなく、循環の一部として、ただ暮らしの中にあること。

都市の中に、死を静かに想える風景が増えていくことによって、新しい都市の文化が生まれるかもしれません。


※1
今回のイベントでは、Deep Care Labと循環葬®︎「RETURN TO NATURE」による共同展示を行いました。展示の様子は、以下のnoteの記事よりご覧ください。

https://note.com/atforest/n/nd5d78acd882f

※2
イベント初日に集まった付箋の数(トークセッションは2日目の午前中に開催)。3日間で70枚集まりました。

プロフィール

登壇者の小池と川地さん

川地 真史(写真左)
一般社団法人Deep Care Lab代表理事 / 公共とデザイン共同代表
2021年、公共とデザイン・Deep Care Labという二つの法人を設立。自然・生きものから祖先や未来世代まで含みこんだ”相互ケア”の社会実装をテーマに活動中。産むを問い直すデザインリサーチ「産まみ(む)めも」、應典院「あそびの精舎」構想/運営、都市から海をケアする「C-O」プロジェクトなどを手掛ける。

小池友紀(写真右)
at FOREST 代表取締役CEO。広告クリエイティブの世界で15年活動。ホテル、コスメ、こども園などのコピーライティング、コンセプトメイキングを手がける中、先輩や祖父母の死、両親のお墓の引越しをきっかけに、日本の墓問題と向き合う。死と森づくりを掛け合わせた循環葬を創案し、2023年夏に関西・北摂の霊場 能勢妙見山にてサービスをスタート。


文:南澤悠佳
写真:Ayaka Hirokawa