医師と考える最期の選択。揺らぐ意思と、向き合い続けるために

イベント

父は生前、「無理に医療機器などにつながれてまで生き続けたくない」と話していました。しかし家族としては、もし人工呼吸器などで命が助かるのであれば……という思いもあり、結論を出せないままでした。

結果として、「延命を選択した」というよりも、「延命措置が行われる状況になった」というのが実際の経過でした。

もっと元気なうちに、本人の希望を具体的に話し合っておけば、違ったかたちがあったのかもしれない。一方で、この9カ月という時間が、私たち家族にとって心の準備の期間になっていたのかもしれないーーそんな思いが残っています。

引用:循環葬スタッフの言葉より

先日、循環葬のスタッフの一人が、こうした話をしてくれました。

人生の最期に、どんな医療を受けたいのか。あるいは、受けたくないのか。
こうした意思をあらかじめ表明しておく「リビングウィル」という言葉は知られるようになってきましたが、日常の中で自分や家族が何を望んでいるのかを話す機会は、多くありません。

私たち一人ひとりが、自分らしい最期を迎えるためにどう考えればいいのか。

医療現場で「最期の意思決定」に向き合ってきた安房地域医療センターの佐々木暁洋医師と、循環葬を運営する小池が、参加者の皆さんとともにこの問いを考えました。

事前に決めることは、本当にできるのか

小池(循環葬運営at FOREST代表):

私自身は、両親のお墓の引っ越しなどがきっかけで、自分の死について真剣に考えはじめました。それまでは、なんとなく自然に還れたらいいよね、というくらいで。

佐々木さんは、普段患者さんと接しながら、元気なうちから自分の死について決めている方って、実際にどのくらいいらっしゃると感じていますか?

佐々木(救急専門医):

ちゃんと決めている方は、たぶんかなり少数派ですね。ぼんやりと思っていることはあっても、具体的なところまで詰めていく機会が得られない人が多いと思うんです。

リビングウィルと似たもので、医療の業界では、心肺蘇生や延命をしないといった希望をチェックリスト的に紙に書く「事前指示書(アドバンスド・ディレクティブ)」という考え方があります。

でも、書いてある通りにならないことがそれなりに多く、現場ではあまりうまく運用できていないという話もあります。

小池:

ご本人の意思が書かれているのに、ですか?

佐々木:

本人の意思が直前で変わることもありますし、家族との関係性も影響します。

欧米圏であれば、西洋哲学的な自分の意思みたいなものが強くあるかもしれませんが、日本では、周りとの関係性の中で生きている方が多い印象です。「自分の意思は、周りと相談したことも含めて自分の意思」というように分離していないんですよね。

そのため、最近は「ACP(アドバンス・ケア・プランニング=人生会議)」といって、決まった内容よりも「自分の死について考え、対話した過程が大事」という考え方にシフトしてきています。

人の意思とは揺らぐもの。その「揺らぎ」を受容していきましょう、という流れです。

小池:

たしかに、元気なときに考えていたことと、実際の状況では変わりそうですよね。今の自分の気持ちが、本当にそのときも同じなのか、自信が持てない気がします。

「自分の意思」はどうやって決まるのか

小池:

私は、回復の見込みがない末期状態において、延命治療を望まない意思(リビング・ウイル)を表明するカードを持っています。

ただ、点滴しますか?といった項目でも、それをしたらどうなるのかがわからず、決めるのが難しかったです……。それこそ、選んだ内容が自分の意思なのかもわからなくなりました。

佐々木:

僕は「どうやって患者さんと意思決定の話をすればいいですか」と研修医に聞かれたときに、よくこんな話をするんです。

ラーメン屋で、お客さんに「あなたの意思で、好きなメニューをつくっていいです」と一個ずつチェックリストで決めてもらうとします。お客さんが「豚骨にします。麺はいらないです」と言ったら、豚骨スープにメンマだけが浮いているものが完成するわけです。

佐々木:

見た目上は患者さんの意思を一番尊重した結果だけど、「これはラーメンなのか……?」と、提供する人も食べる人もよくわからないものが出来上がっている。

それと同じで、「人工呼吸器をつけますか」「点滴はどうしますか」と一個ずつ一般の人に投げて意思決定させてしまったら、結果として誰も幸せじゃない状態になることもあります。

だから医師は、その人の価値観を聞きながら最適なかたちを提案していく役割だと思っています。「普段からどんな麺が好きなのか」「今日はあっさりしたものを食べたい気分か」などを事前にわかっていれば、「こういう感じでやりましょうか」と提案できる。

その人がどう生きてきたかを知ることが、結果としてその人の医療の意思決定を支えることになります。

「これは望まないかも」と想像できる関係

小池:

私の祖母が倒れたとき、胃ろうをつくるかを医師に聞かれたのですが、家族で話したこともないままその場で決めなくてはならず、父は「つくります」って答えたんです。それから20年、祖母は寝たきりの状態でした。その状態は、本当に祖母が望んだことだったのか。父はそう答えたことを後悔しているんです。生前から話をしておけば良かったなと、強く思います。

佐々木:

細かく何かを決めておくというよりも、普段から「こういうときに、これはやりたくないよね」といったように、家族で話しておけるといいですね。

そういう会話があると、「お父さんはこういうのは望まない」と家族が話してくれて、医師からはこうしましょうっていう提案をしやすくなります。

小池:

たしかに、「この人だったら、こう言うだろうな」っていう想像を、できるような関係性ですよね。

在宅で看取るという選択の現実

小池:

在宅で最期を迎えたいと考える人も、少なくないのではないでしょうか。映画などで「救急車は呼ぶな」というセリフを聞いたことがあります。

佐々木:

「在宅で最期まで」と思っていても、病気によっては息が苦しくなり、それを見ているご家族が耐えがたくなることがあります。その場合、本当に最後まで在宅にこだわることが幸せなのか……。自宅で十分時間を過ごしたからこそ、最後は病院で看取るのも一つの選択肢です。

一方で、ご自宅で心臓が止まり、慌てて救急車を呼んでしまうケースがあります。今の法律上の仕組みでは、救急隊は「治療してほしいから呼ばれている」前提で動くので、心臓が止まっていれば基本的には心臓マッサージ(心肺蘇生)をして、病院に運びます。それを「家で看取りたかったのでやめてください」というのは、かなりハードルが高いんです。

心臓マッサージを望んでいなかったとしても、救急車を呼んでしまうことで救急のフローに乗ってしまう。そういう意味で、本当に在宅で自然に見送りたいのであれば「(救急車ではなく)主治医や訪問看護に連絡する」という話があるんです。

小池:

現場でご家族との対話の中で、難しい決断を迫られることも多いと思います。救急で運ばれたときなど、ご家族とはどのような話をされることがあるのでしょうか。

佐々木:

救急に心肺停止の状態で運ばれてきて、もう心拍が再開することはないだろうという状態のとき、遠方のご家族から「死に目に会いたいから、着くまで待ってください」と言われることもあります。

でも、到着まで数時間かかる間、心臓マッサージを続けることはご本人の体が傷ついてしまうだけです。

僕は、生物学的な死と、法律的な死(医師が宣告した時間)、そして関係性の中での死(家族がお別れの時間を過ごす)は違うと思うんです。

多分、ご家族が望んでることは、本質的には最後の関係性の部分で、生物学的に命を引き延ばすことだけではないのではないでしょうか。だから僕は、「待っててくれてますよ」とお話しして、一旦治療をやめる提案をすることがあります。そうすると、多くの方がそれを受け入れていかれる印象がありますね。

「縁起でもない」を超えて、日常で死を語る

小池:

今日ここに来てくださった参加者の方にもお話を伺えればと思います。ご家族で最期の話などはされていますか?

参加者Aさん:

数年の間に立て続けに両親を見送りました。延命はしないという方針もあり、日常的に、当面のことやお金のことを姉妹で相談しながら進めていました。だから最後は、本当にいいお別れができたと思っています。

でも、こういう話を他の人にすると、「縁起でもない」と言われてしまうこともあって。決めておかないと後の手続きとかすごく面倒なのに、なぜなんでしょうね。

参加者Bさん:

実は、今日このイベントに参加するとパートナーに伝えたら、最初は反対されました。

佐々木:

言霊じゃないですけど、死を語ることへの心理的なハードルはまだありますよね。そこには、個人の問題というよりも街の構造が影響していることもあります。もしお墓が暮らしのそばにあれば、「お父さんがあそこにいるんだよ」みたいな話がしやすくなりますよね。

海外には「コンパッション都市」という考え方があって、街自体が死について日常的に話せたり、身近に感じられたりするような、都市デザインの概念があります。たとえば、今年亡くなった方をみんなで祈る日をつくったり、死に関するポエムを市報に載せたりするそうです。

小池:

海外ではそういう施策もあるんですね。日本でも、お墓の文化がもっと自然に開かれたものになればいいのになと思います。それこそ循環葬は、ただ自然に還るだけでなく、森全体をおまいりの対象としています。

元々、日本には万物に神が宿るという考えもありますし、お墓がどこか遠ざけられる存在になってしまっている中で、森を豊かにすることを通じて、その関係性をもう一度取り戻していけたらと思っています。

佐々木:

森っていう場所には、そうしたものを自然に受け入れられる感覚がありますよね。

僕は医者なので、医療の場でいえば、どういう医療を受けるかとか、どういう終末ケアを受けるかが中心になります。でも、それを考えるためには、死の先のことについて考えることが重要になってくるんですよね。

自分が死んだ後、どういうお葬式や埋葬の仕方にしたいか。そうしたことを真剣に考えている方は、どうやって最期まで自宅で生活したいかといった「生きている間の医療やケア」についても考えが深まっていることが多いです。

小池:

そうなんですね。私たちのもとにご相談に来られる方の中でも、約7割が生前に契約をされています。自分の死を考え、最期を決めたからこそ、「これで残りの人生を安心して生きられる」と、晴れやかにおっしゃる方が多いんです。ずっと憧れていた場所に引っ越したり、新しく資格を取ったりする方もいます。

佐々木:

循環葬のように「自然に還る」という死後のイメージを持つことが、逆説的ですが、死を受け入れて別のかたちで生き続けるという感覚につながり、それが生きる力になっているのかもしれませんね。

小池:

「縁起でもない」とタブーにするのではなく、みんなで集まってシェアすることで、残された人もハッピーに近づき、本人も理想を叶えられる。そうした場を増やしていきたいです。


冒頭のエピソードのように、「決めきれないまま、そのときを迎えてしまう」ことは、決して特別なことではありません。

人の意思は状況や関係性の中で揺れ続けるものです。だからこそ、あらかじめすべてをきっちりと決めておくことよりも、日常の中で少しずつ言葉にしていくこと。

その積み重ねが、最期の場面での選択を支えていくのかもしれません。

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会場では、ご自身の状況に合わせた質問も寄せられました。その一部をご紹介します。

Q. パートナーとは事実婚です。両親とは疎遠なのですが、もしものことがあったときに、パートナーに自分の意思決定を任せることはできるのでしょうか?

佐々木:

現実的なお話をすると、生き死に関わる重大な局面では、病院はどうしても保守的にならざるを得ません。基本的には戸籍上のご家族に一度は連絡を取る手続きになります。ただ、連絡をとった上でご家族が「そちら(パートナー)に任せます」とおっしゃるケースも実際には多いです。

もし事前にしっかりと備えるなら、いざというときのために婚姻届を用意しておくか、養子縁組など法律上の関係をつくっておくのが、医療現場としては一番スムーズに意思を尊重できるかたちになります。

小池:

循環葬の契約者の方でも、「疎遠な家族に連絡がいかないようにしたい」「誰にも迷惑をかけたくない」というご相談は非常に増えています。

そうした方には「死後事務委任契約」という仕組みをご紹介しています。生前に専門家と契約を結ぶことで、亡くなったあとの病院の清算や行政手続き、葬儀・埋葬のすべてを託すことができます。ご自身の思いを守るためにも、こうした法的な制度を伝えて行くことも私たちの大切な役目だと思っています。


Q. 循環葬では、ご遺骨は具体的にどうされるのですか?

小池:

土壌の専門家にも監修していただき、お預かりしたご遺骨は、専用の機器で土壌と同じくらいの細かさにパウダー状にします。埋葬するときは、埋葬場所から掘り出した土とご遺骨をしっかり混ぜ合わせ、穴に戻し、上から土をかけます。

ご遺骨の成分のほとんどは土壌を構成するリン酸カルシウムですので、木の根が栄養として吸ったりしていき森を支える土壌の一部になっていきます。


Q. 循環葬の森にはどんな木が植えられているのですか?

小池:

一般的な樹木葬だと「自分の好きな木(桜など)を植えられます」というものも多いですが、私たちは違います。その森の生態系に合った樹木を植えています。

整備に入る前に、この森の在来種をアドバイザーである森林資源学の先生に調査してもらい、その結果を踏まえて植栽しているんです。

佐々木:

僕はもともと生き物や自然が好きで、その延長で医者になりました。なので、その地域の気候や立地条件に適応した状態である「極相林(きょくそうりん)」になるように、長期的な計画で在来種の植物を植えているという話がすごく面白いなと思いました。

小池:

「人類がこの世からいなくなったとしても、この森は豊かなまま残る」というのが私たちのストーリーなんです。ご自身のご遺骨が、その森が本来の姿で豊かになっていくための一助になるよう設計しています。

プロフィール

プロフィール

佐々木 暁洋(写真中央)
集中治療専門医、救急専門医。安房地域医療センターで救急医として勤務する傍ら、公共政策/公衆衛生の視点から、医療と暮らしの接点に関心を持つ。生老病死をめぐる対話の場として「風の対話」を実践している。noteはこちら

笹木千尋(写真左)
本イベントの会場としてご協力いただいた、古本屋「風六堂」の店主。
2021年に東京から南房総へ移住し、自宅で私設図書館「風の図書室」を始める。2022年3月に現在の場所へ移転。その後、シェア型書店を経て、古本屋「風六堂」を営む。笹木さんのインタビューはこちら

小池友紀(写真右)
at FOREST 代表取締役CEO。広告クリエイティブの世界で15年活動。ホテル、コスメ、こども園などのコピーライティング、コンセプトメイキングを手がける中、先輩や祖父母の死、両親のお墓の引越しをきっかけに、日本の墓問題と向き合う。死と森づくりを掛け合わせた循環葬を創案し、2023年夏に関西・北摂の霊場 能勢妙見山にてサービスをスタート。

 


文:南澤悠佳
写真:Ayaka Hirokawa