日々の糧がつなぐ、土地のめぐりー薪パン日々|能勢
大阪の最北端、豊かな自然が残る町・能勢。
その町の象徴「野間の大けやき」の向かいに、薪窯でパンを焼く「薪パン日々」があります。
パチパチと薪がはぜる音と、香ばしい香りに包まれた店内。パン職人の俊二さんが生地を焼き上げ、妻の幸さんが惣菜パンを彩る具材をつくる。お二人の手を通して、さまざまなパンが店に並びます。
この地でパンを焼き始めて9年。
地元の人からは親しみを込めて、「薪パンさん」と呼ばれています。



「日々」という名前に込めた想い

「正式な店名は『日々』なんですけど、それだと何屋かわかりづらいなと思って。薪窯でパンを焼くから『薪パン』とつけたんです。
『日々』の店名は、日々の食卓に寄り添えるような、日々の糧になるパンを焼けたらいいな、という想いを込めています」と、幸さん。
華やかなデニッシュや趣向を凝らしたパンも魅力的ですが、俊二さんと幸さんが目指したのは、もっと静かで、力強いもの。

「派手なパンはつくれないけれど、毎日食べても飽きないパン。僕たちにとっては、それが一番大事かなと思っています。
その瞬間の驚きよりも、何気なく食べて、しばらくしたら『ああ、またあのパン食べたいな』と思い出してもらえるような。そんな地味なパンでいいんです」と、俊二さんも言葉を添えます。
店に並ぶパンは約20種類。
能勢の小麦や野菜など、顔の見えるつくり手の食材をできるだけ使いながら、素朴でやさしい味わいのパンを焼き続けています。
能勢という土地でパンを焼くということ

能勢は豊かな山に囲まれた地域です。間伐材も多く出ます。
この土地でパン屋をするなら、そうした環境を生かしたい——そんな思いから、薪窯を選びました。
「山がたくさんある場所なので、この環境を使わないのはもったいないなと思って。でも、山に入って自分で木を切るって、本当に大変なんです。
それぞれが生業としてできることは限られていますよね。だからこそ、町の人と関わりながら、その土地で営みを続けていく。それが循環の一部に入るっていうことなんじゃないかなと思うんです」

木を切る人がいて、その薪でパンを焼き、地域の人がそれを食べる。
「私たちはパンを焼くことしかできないけれど、この土地にあるものを使い、顔の見える人から素材を仕入れる。そうして一つの循環の中に自分たちの仕事を置けたら、それが一番いいなと思ったんです」
幸さんは能勢で生まれ育ち、一度は町を出て都市部で暮らしていました。当時はそれほど愛着はなかったと言いますが、子どもが生まれたことで見方が変わりました。
「かつて当たり前だったホタルや川遊びが、どれほど得難いものだったのかに気づかされました。さらに、能勢には素敵な人がたくさんいて、魅力的な営みがあふれていることにも気づいて。自然だけでなく、『想いを持って生きている人』がいる町なんだと、肌身で感じられたことが大きかったですね」
薪窯と自家製酵母。正解のない「対話」の繰り返し

パンづくりを担当する俊二さんは、20年近く電気オーブンのパン屋で研鑽を積んできました。しかし、ここ能勢で向き合っているのは、一筋縄ではいかない薪窯です。
「3時間ほど薪をくべて窯の温度を最高まで上げ、その蓄熱でパンを焼きます。温度は徐々に下がっていくので、高い温度が必要なハード系から、少し温度が落ち着いてから焼く食パンやあんパンへ。その日の薪の乾き具合や火の回り方を見て、生地を入れるタイミングを微調整します。毎日状態が変わるので、9年経っても試行錯誤の連続です」
外は香ばしく焼き上がり、中にはほどよく水分が残る。
それが、薪窯ならではの焼き上がりです。
酵母は、レーズンから起こした種と、小麦そのものから起こした種の2種類を使い分けます。

「最初は小麦の酵母だけで焼いていたんですが、お客さまから『酸っぱい』と言われることもあって(笑)。今はレーズン酵母を合わせることで、フルーティーで食べやすいバランスを探っています。継ぎ足し続けて9年の種は、1年目の頃とはまた違う味わいになっている。それが面白いところですね」
薪窯で焼かれたカンパーニュを頬張ると、外側はガリっと力強く香ばしく、中はほどよいしっとりさを残しながら、ふわっと軽やかな口当たり。
噛み締めるほどに滋味が広がり、どこか能勢の風土を思わせる味わいです。
パン屋であり、町の小さな商店でもありたい


「日々」の棚には、カンパーニュや食パンといった食事パンだけでなく、おやつのように楽しめるあんパンも並びます。毎週2つずつ買われる方や、あんぱん目当てにいらっしゃる方もいるのだとか。
「この辺りは商店がなくなってしまって、ちょっとおやつを買いに行くとか、『今日はお昼パンにしよう』とパッと買いに行けるような場所がないんです」
だからこそ、パン屋でありながら、どこか「町の商店」のような役割も持てたら。ここで店を始めるとき、お二人はそう心に決めました。
農作業の合間にパンを買いに来る人。
学校帰りにお小遣いを握りしめて来る子どもたち。
薪窯で一人で焼くには、20種類というのは決して少ない数ではありません。その多様さは、町の人の「日々のささやかな楽しみ」を暮らしの中に灯し続けたいという、思いの表れでもあります。
「飽きひんで」と言ってくれる人がいる

店を続けていると、忘れられない出来事もたくさんあります。
近所のおじいさんは、最初「こんな場所でパン屋をして大丈夫か」と心配して訪れたそうです。しかも、その方は普段はパンを食べない人でした。それが今では、週に2回必ず食パンを買いに来る常連になりました。
「『飽きひんで』って、いつも言ってくれるんです。それが本当にうれしいですね」
また、体調を崩して食事が難しくなった人が、ここのカンパーニュだけは食べられたという話もありました。
シンプルなパンだからこそ、日々の糧になる。
そんな実感を、店を続ける中で何度も感じてきました。
パンを通して広がるつながり


毎年6月から12月にかけて、月に1回、お店の前の芝生スペースで「ファーマーズマーケット」を開催しています。農家さんが直接野菜を販売する、小さな市です。
芝生にテントを立て、農家さんが持ってきた野菜を並べる。訪れた人は、野菜を手に取りながら、つくり手から畑や育て方の話を聞く。そばに置かれた将棋台の周りでは、腰を下ろしてゆっくりおしゃべりを楽しむ人の姿もあります。
回を重ねるうちに、農家さんとお客さんが顔見知りになり、お客さん同士も自然と会話が生まれていく。そんな風景が、この場所に少しずつ育っています。

「お店を始めるとき、地域の方から『ここは御神木もある場所で、引き寄せる力があるんですよ』と声をかけてもらったことがあります。本当に、いろんな人が来てくださるんです。いろんなエネルギーとか思いももらって、山あいの、決してアクセスのよい場所ではないこの場所でも、できてるんだと思います。
私たちはパンを焼くことが本業ですけど、それを通して自分たちができることを、これからも探していきたい。ここが、人がつながる場所になれたらいいなと思っています」
パンを焼き、それを食べる人がいて、また会いに来てくれる。
その営みが、町の中でゆっくりと巡っていく。
「日々」という名前の通り、この場所では今日も、小さな循環がめぐっています。


プロフィール

井上俊二・井上幸
23歳でパンの世界に飛び込んだ俊二さんが、長年の研鑽を経て、37歳のときに妻・幸さんの故郷である能勢町で「薪パン日々」を開業。パン職人として一人薪窯に向かい、日々パンを焼き上げる。幸さんは自家製のあんこやホワイトソースなど、パンを彩る「具材」を丁寧に仕込む。夫婦それぞれの得意分野を重ね合わせ、日々の糧となるパンを届ける。
薪パン日々
住所 大阪府豊能郡能勢町野間稲地105(📍Google Mapでみる)
営業日時 木・金・土・日 11:00~16:00 ·
ウェブサイト https://www.makipanhibi.com/
文:南澤悠佳
写真:薪パン日々提供(本文内1,3,6,8,10,11,14枚目)、左記以外Ayaka Horikawa撮影