後編|誰かの「よき祖先」になるという選択肢。生と死を考える「DEEP TIME」トークセッションレポート
循環葬®︎「RETURN TO NATURE」が主催となった、これからの生と死を考えるトークイベント「DEEP TIME」。2023年から始まった全3回シリーズの最終回「よき祖先になるために」が2024年3月23日にTOGO BOOKS nomadik(大阪府豊能郡)で開催された。
現代仏教僧として多方面で活躍する松本紹圭(しょうけい)さんをゲストに迎え、TOGO BOOKS nomadik店主の大谷政弘さん、循環葬®︎「RETURN TO NATURE」を手掛けるat FOREST代表・小池友紀の3人が、紹圭さんが日本語訳を手掛けた『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(ローマン・クルツナリック著)から生と死の未来の善き在り方とは何か、血縁の次に始まるであろう物語の可能性について語り合った。
家族という物語が終わりつつある
- 松本 :
- 私は「人間の集合意識はどこへ向かっているんだろう」ということを常々考えているのですが、「お墓」の変化に今はそれが現れているように感じています。「家族」の物語が終わり、次は地球の物語へと移行しつつある集合意識の変化。それが循環葬®やヒューマン・コンポスティング(堆肥葬:遺体を堆肥として土に還す)のような選択肢として現れてきていると思います。 日本では火葬以外にほぼ選択肢がありませんが、Loop Biotech(ループ・バイオテック)というオランダのスタートアップ企業は、キノコの菌糸とバクテリアで遺体を分解して有機物の糧に変えるユニークな棺桶もサービス化しています。 そうそう、私がこういう話をすると「私もお墓ではなくその埋葬がいい」と反応してくれるのは圧倒的に女性が多いんですよね。夫婦別姓もいまだに認められないこの時代を生きて、なぜ死んだ後までイエ制度を象徴する墓に入らなければならないんだ、という抗議の意思もそこにはあるのだと思います。その意味で、家族教から地球教への集合意識の変化をリードしているのは私の肌感覚では女性です。
- 小池 :
- 私も一女性ですので、そこはすごく理解できますね。結婚して改姓していた時期は、やはりイエ制度を感じる場面が多かったので。「○○家の嫁」としてつらい思いをしてきた女性たちを家制度から解放したい。実はそこも循環葬®の裏テーマのひとつです。
- 大谷 :
- 「良き堆肥になろう」という考え方の面白さは、身体を含めた自己の在り方に意識が向けられている点にあるのだと思います。これまでの歴史では、「家のよき構成員になろう」のように形あるものに尽くす意識が強かったのでは。それが時代の変化によって、「自分が消滅したあとも何かが循環していく」という、形はないけれど続いていくものに焦点が当たっている。これってすごくエコロジカルな視点ですよね。 一方で、「エコ」と言いながら、私たちは結局のところ何かを作り出してしまう。でもそれって本当にエコなのかな?という問いにも向き合い続ける必要がある気がします。

- 松本 :
- エコロジカルと言いながら実はエコノミカル。そういうものが今の社会に溢れているのも事実ですし、それが極端な形になったのがグリーンウォッシュかもしれません。それでも、中には循環葬®のように抗議、アンチの意思を感じられるものもある。個人の墓標を残さないこともそうですよね。偉業を成し遂げた人の名前を形で残したいという感覚は、男性的というかおっさん的発想に根付いたものかもしれません。
- 小池 :
- 循環葬®でも墓標を残すか残さないか問題は、最後の最後まで議論しました。それでも、「家」の流れにある自分の名前を残すことが果たして本当に当人に心地よいことなのだろうかと考えたときに、私はそうではないと思えたんですね。私たちにとっては思い切った決断でしたが、実際にご遺族の方と一緒に土に還す作業をして清々しい時間を過ごせたことで、その決断は間違っていなかったと思えました。
- 大谷 :
- 場所の作用も大きい気がしますね。森の自然に還っていけるという感覚が持てることが、今の社会の閉塞的な空気を変えていくかもしれない。そんな予感も僕はあります。

- 松本 :
- これまでも従来とは異なる提案をするエンディング産業はありましたが、どこかピントがズレているんですよね。遺骨を宇宙まで打ち上げる宇宙葬なんて、「なぜ火葬した後にさらに燃料を使って宇宙にまで飛ばす?」のようにどこか不自然だったんですよね。
- 小池 :
- そう、エンディング業界の不自然さは私もずっと疑問でした。なぜあえて不自然な方向に向かうのか、ずっとわからなかった。でも資本主義の問題点に多くの人が気づき始めたことで、今ようやく時代の流れが自然な方向へ逆戻りしつつあるのかもしれません。
- 大谷 :
- 僕たちは資本主義社会において、どうしたって消費者として行動せざるを得ませんよね。それでも、循環葬®のように資本主義社会にすべてを飲み込まれないようなやり方、幅の広げ方ってあると思うのですが、紹圭さんはどうお考えですか。
- 松本 :
- 僕は逆に、マーケティングを生業としている典型的なマーケターの人に「この循環葬®というサービスをどう売りますか?」は聞いてみたいです。今の循環葬®はまだ手垢がついていないぶん、みんなで作っていく感覚がある段階ですよね。でも商品として洗練されるほど、エコノミカルな普通の商品として消費されていくリスクもある。じゃあそうならないためにどういう丁寧な育て方があるのか、循環葬®が果たせる社会的役割とは何か、という視点が必要な気ががします。そのためには、やっぱりロングタームで見ていくことが大事ですよね。
- 大谷 :
- 場所の存在が、お金を超える価値として社会に認知されていくようになれば、自ずと見えてくることもあるのかもしれませんね。

生産と消費だけではない、分解という側面
- 松本 :
- 多くの人は経済の中では消費者であり、労働をしているときは生産者です。となると消費と生産の間だけを行き来しているうように錯覚しますが、そこには分解者性がすっぽり欠落しているんですよね。何かを作っても買ってもゴミが出る、そのゴミをきれいにゼロに戻すことで循環が成立している。 そういう意味で、循環葬®は分解者という目に見えないプレイヤーの存在を呼び起こしてくれる選択肢なのかもしれません。私たちは生産者であり消費者でもあるけれども、それだけに回収されない生物としての側面もあるのですから。
- 小池 :
- 分解者性を思い出させてくれる選択肢。面白い視点ですね。
- 松本 :
- 端的に言うと、私の中ではそれが掃除なんです。掃除をするってすごく分解者的な役割を持っている。
- 大谷 :
- 僕も箒で掃いてゴミを集めるのが好きなんです。ゴミに気づいて、それをちょっと移動させて、その場を他の誰かが気持ちよく過ごせるように回復する。そこにすごく快感があるのですが、それもきっと分解者性ですよね。 自分がよい堆肥になって目に見えないものとして世界に働き続けることもそれと同じだと思いますし、『グッド・アンセスター』に書かれていた「未来を植民地化しない」というスタンスとも通じる気がします。 その意味で循環葬®は今の社会への問いかけであり、パラダイムシフトなのかなと感じますね。未来だけでなく、今ここに存在しない人々や目に見えない存在に思いを馳せるという枠組みを提示している。自分の身体性や感覚と結びついた、主体的で個人的な視点から生まれるもの。

- 松本 :
- いわゆるアメリカ的な「所有」の概念が変わってきているように感じます。これは自分が買ったものだからどうやって扱っても勝手だろう、という所有に伴う支配の権利ばかりが主張されてきましたが、そこにはケアの義務も同時にあっていい。この土地を所有したのであっても、未来の人から借りものとしてケアしようと考える精神。そういうものがもっと大事にされていくといいな、と個人的には考えています。循環葬®を選ぶことも、そのひとつかもしれませんね。お墓を所有するのではなく、皆で森をつくる場を持つということですから。
- 小池 :
- そうなんです。そこはよく誤解されるのですが、私たちはお墓を売っているわけではないんですよね。ブランド名を「RETURN TO NATURE」としているのはそういう理由からで、皆で森を管理して豊かにできたらいいよねという方法を提案していることを上手く伝えていけたらなと思います。 よき祖先、家から地球へ、分解者性……。今日は時代の流れを象徴するような、いろんなキーワードが出てきましたね。皆さん、ありがとうございました。
文:阿部花恵