前編|誰かの「よき祖先」になるという選択肢。生と死を考える「DEEP TIME」トークセッションレポート
循環葬®︎「RETURN TO NATURE」主催となって、これからの生と死を考えるトークイベント「DEEP TIME」。2024年から始まった全3回シリーズの最終回「よき祖先になるために」が2025年3月23日にTOGO BOOKS nomadik(大阪府豊能郡)で開催された。
現代仏教僧として多方面で活躍する松本紹圭(しょうけい)さんをゲストに迎え、TOGO BOOKS nomadik店主の大谷政弘さん、循環葬®︎「RETURN TO NATURE」を手掛けるat FOREST代表・小池友紀の3人が、紹圭さんが日本語訳を手掛けた『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(ローマン・クルツナリック著)から生と死の未来の善き在り方とは何か、血縁の次に始まるであろう物語の可能性について語り合った。
松本紹圭(僧侶/Ancestorist)
はたらく人や組織のウェルビーイングを支える「産業僧」として日米で活動。ヒューマン・コンポスティングにも早くから注目、世界の動きを伝えてきた。浄土真宗本願寺派僧侶。株式会社Interbeing代表取締役。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leaders。武蔵野大学客員教授。未来の住職塾代表。東京大学哲学科卒、インド商科大学院(ISB)MBA。著書『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』は世界17ヶ国語以上で翻訳出版。翻訳書に『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』。
大谷政弘(TOGO BOOKS nomadik店主)
大阪府能勢町で「TOGO BOOKS nomadik」を妻・大谷愛と共同主宰する店主。能勢町への移住を機に、2017年からお弁当とお惣菜のテイクアウト店「nomadik」をスタート。2021年10月に現店舗をオープン。自然豊かな里山で「本と食のあり合う場所」をテーマに、新刊・古書・雑貨の販売やカフェ、イートイン・テイクアウトを展開しながら、本と食が交差する空間づくりに力を注ぐ。能勢妙見山で循環葬®「RETURN TO NATURE」サービスがスタートした際にはオープニングレセプションの食事を担当。
小池友紀(at FOREST 代表取締役CEO)
アパレル業界を経て広告クリエイティブの世界に入り、フリーランスのコピーライターとして15年活動。ホテル、メーカー、子ども園など様々な企業・団体の課題と向き合い、コピーライティング、コンセプトメイキングを手がける。先輩や祖父母の死、両親の改葬(お墓の引越し)をきっかけに、「死」の選択肢について考えはじめ、死と森づくりを掛け合わせた「循環葬 RETURN TO NATURE」を創案。
「先祖」と「祖先」の違いとは
- 小池 :
- 私たちが運営する循環葬®「RETURN TO NATURE」は2024年に開始したサービスですが、立ち上げにあたって『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(ローマン・クルツナリック:著)という本に大きな影響を受けました。同書の日本語訳を手がけたのが、本日ゲストとしてお招きした僧侶の松本紹圭さんです。まずは、紹圭さんがどのようにして『グッド・アンセスター』を知ったのか、教えてもらってもよろしいでしょうか。
- 松本 :
- 『グッド・アンセスター』の著者ローマン・クルツナリックの出会いは2020年、コロナ禍が始まった年でした。すべてがオンラインに切り替わって戸惑っていた時期に、House of Beautiful Businessというヨーロッパの経営者が集うサークルのオンラインイベントにひょんなことから私も招待されたんですね。 そのイベントで「Good Ancestor(よき祖先)をテーマにしたセッションに登壇してほしい」と言われて出ることになったのですが、同じく参加するパネリストのひとりにローマン・クルツナリックがいたんです。彼の著書がセッションのテーマになっていると聞いたので、本人に英語版をPDFで送ってもらい、読んだところこれが非常に良い内容でした。 日本でもぜひ紹介されるべきだと強く思いましたし、自分も多少なりとも本を書いた経験がありましたから出版社に紹介するなど掛け合ってみたところ、「これは自分が翻訳すればいいのでは」と思うようになった次第です。

- 小池 :
- それまでに翻訳の経験はありましたか?
- 松本 :
- いえ、ありませんでしたが、機会があれば人生で一度くらいは翻訳という仕事をしてみたいなとは思っていたんですね。ただ、プロの翻訳者ではない、お坊さんである自分が翻訳することに意味がある本に出合えたら理想的だな、と漠然と思っていました。 『グッド・アンセスター』を読んだとき、まさにこれは自分の問題意識と重なる本だなと思えたんです。私は大学で哲学を学び、日本でお寺を持たない僧侶として活動するようになって20年超が経ちましたが、「なぜ日本の仏教は亡くなった人のことばかり、過去の方向ばかりを見ているのだろう?」という疑問がずっとありました。 本来のお釈迦様の教えは、「自分がどう生き、どう死ぬか」という現在の私たち自身の問いだったはずです。ところが実際に僧侶になってみると、法事や葬儀の連続ばかりで、生きている人たちと向き合う時間が圧倒的に少ない。 そんな思いを抱えていたときに、仏教徒ではないローマンが「未来の人から見て、私たちはどんな祖先でいられるか?」という新しい視点を与えてくれた。自分もいずれ祖先になるという視点に立った上で、どう生きるかを受け止め直す。その問いは多くの人にとって示唆があるだろうとの思いが翻訳の動機になりました。
- 小池 :
- ありがとうございます。『グッド・アンセスター』は死後のことやお墓にまつわる事業をしようと考えていた私たちにとっても、多くの閃きを与えてくれました。ところで、紹圭さんはAncestorを「祖先」と訳されていますが、仏教で馴染みのある「先祖」ではなく「祖先」にしたのはなぜでしょう。
- 松本 :
- 先祖と祖先、ほとんどの人にとっては入れ替えて使っても意味は変わらないですよね。けれども、アンセスターという言葉を訳すにあたっては、先祖と祖先のどちらにするかは結構悩みました。 これは私が日本仏教の僧侶であることも関係しているかもしれませんが、「先祖」「ご先祖」という言葉を聞いたとき、多くの日本人は先祖代々のお墓のイメージが浮かぶのではないでしょうか。「松本家之墓」のようなファミリー、血縁の流れがそこには表現されている。 しかし、『グッド・アンセスター』で語られている「よき祖先である」こととは、血縁関係にある子や孫のために何かを残すという話ではありません。そうではなく、100年後の人々にとって、私たちがどんな祖先として記憶されるか、という問いかけなんですね。 たとえば、この能勢の風景も100年後の2124年には今とは大きく変わっているでしょう。その未来を生きる人たちに、今を生きる私たちはどんな社会や文化を手渡せるのか。そう考えたとき、血のつながりを超えた普遍的な視点が生まれるはずです。 日本仏教では「ご先祖を大事に」という言葉が、どうしても檀家制度や家制度と結びき、血縁中心のメッセージに偏りがちですよね。私はテンプルモーニングというお掃除の会をやっているのですが、参加者のある女性からこう言われたことがありました。 「私、お寺に来ると時々悲しくなるんです。だってお寺はご先祖様を大切にと言っているけど、未婚で子どもがいない一人っ子の私は誰のご先祖にもならないんだろうと考えてしまうので」 そのような声にもたくさん触れてきたからこそ、血縁に閉じない、もっと広い意味を込めて「先祖」ではなく、「祖先」と使い分けた、という背景があります。

血縁だけが縁ではない
- 小池 :
- 確かに、言葉ひとつで伝わり方はまったく違ってきますよね。私たちも慣習となっているイエ制度にとらわれず、血縁がない人たちとも共有できる資産のような自然として「森」に行き着いたのでよくわかります。
- 大谷 :
- お墓や檀家制度は、そもそも日本のイエ制度と歩調を合わせて存続してきたものですからね。
- 松本 :
- 私たち人間は血縁以外にも、無数の「縁」によって存在していますよね。両親や祖父母から続いた血縁もあるけれども、それ以外にもさまざまな縁によって人生を広げ、また自分自身を捉えていく。血縁をおろそかにするわけではなく、血縁によるファミリーだけが強調されすぎてきたことに対して、もっと柔軟に考えていこうよという流れが生まれてきているのかもしれません。
- 小池 :
- 紹圭さんは以前に台湾のオードリー・タンさんとお話する機会があったそうですが、オードリーさんもそれに近いお考えをお持ちだそうですね。
- 松本 :
- そうですね。『グッド・アンセスター』とはまったく関係のない場でオードリーさんと直接お話する機会があったのですが、そのときに「短期思考ではなく長期思考が大切である」「真に大事な問いかけは、いかにしてよき祖先になるかです」という言葉がオードリーさんから出てきて驚かされました。 「では、オードリーさんが考えるよき祖先とはどのようなものですか?」と私から問いかけたところ、「未来世代により多くの選択肢を残すことです」という答えが返ってきたんですね。 つまり、「こんな素晴らしい未来を残してあげたんだから喜べよ」という押し付けではないんです。何がよい未来かは私たちにはわからない、でもその自覚の上で未来のことを決めるのは未来の人々なのだからいろんな選択肢の幅を残す生き方をしましょう、ということ。非常に創造的で謙虚な、かつ知恵が込められた答えだなと感じ入りました。

- 小池 :
- 新しい選択肢を提供することで、マインドセットを少し柔軟にしていく。それはまさに循環葬®の方向性と同じですが、個々人が新しい選択肢に気づくために何かできるレッスンのようなことはありますか?
- 松本 :
- 余白、スペースを人生に意識的につくってみるといいかもしれません。 私は産業医ならぬ「産業僧」として、働く人たちの心をケアする活動もしているのですが、会社勤めの人たちと接していると、皆さんどうしても「右肩上がりの成長」を目指すことに追われているんですね。ずっと続く目標達成競争を走り続けているような状態です。そうなると視野が狭くなるし、イノベーションも起きにくくなる。 昔は「人生50年」と言われていたのが、今や「人生100年時代」です。でも寿命が2倍になったからといって、2倍ゆったり生きているかというと……おそらく違いますよね。むしろ以前より忙しくなっているし、余白がどんどん埋められる日々を多くの人が過ごしている。そのことを自覚して余白を埋める癖を手放し、「思いがけなさ」に開かれたスペースとして確保する意識が大切なんじゃないかと思います。どんなにしぶとい癖でも、時間をかければ抜けていくものです。
- 大谷 :
- 余白や隙間にこそ思いがけないものが入ってくる感覚はわかる気がします。子どもは自然とそれができるのですが、大人になると下手になりますよね。そういう意味では未来世代の参画を考えるのであれば、僕は子どもが参加できるような余地をたくさん作るのがいい気がします。
- 松本 :
- 穴を開けてくれる存在という意味では子どもたちもそうだし、犬や猫、動物もそうかもしれません。手はかかる、言うことは聞かない、でも何かを思い出させてくれるものがある存在。
- 小池 :
- 今はNetflixのように気軽に余白を埋めるコンテンツが身の回りに溢れていますからね。だからこそ、人や情報から離れる時間を意識的につくるといいですよね。私も森に通うようになってから、「疲弊しない情報ってあるんだな」という発見がありました。自然の音や香りって情報量としてはすごく多いのですが、でも心が疲れるものではない。だからこそ自然と触れ合う時間を後世に残すためにも、ビジネスの立場からできることをしていきたいなと思っています。
文:阿部花恵