お墓じまいは、かたちを手放し、縁をつなぎ直す選択

自然葬を知る

年間約17万6,000件。

2024年度に全国で行われた「改葬」—すでにあるお墓からご遺骨を取り出し、別の場所へ移す手続き—の件数です(※1)。2014年度は約8万4,000件(※2)でしたので、この10年で倍以上に増えたことになります。

「自分の代で先祖代々のお墓を終わらせてしまう」という申し訳なさを抱えながらも、「維持できないから」と苦渋の決断として踏み切る。お墓を片付けるという物理的な作業の裏側には、簡単には整理のつかない、複雑な心の動きがあります。

「続けるか、しまうかという二択でもないと思うんです」

そう話すのは、前田陽汰さん。仏教の教え「諸行無常」を由来とする屋号「むじょう」を掲げ、死や縮小、撤退といった、目を背けられがちな「終わり」のかたちを考えてきました。

お墓じまいという選択に、どのような捉え方がありうるのか。前田さんの言葉を辿ります。

“もの”だけを片づけても、終わらない

お墓に限らず、何かを畳むという「終わり」に向き合うとき、私たちの心はさまざまな思いで揺れ動きます。

「気持ちの問題って、実は物理的な心配から来ていることが多いんですよね。毎年お盆にお墓の掃除に行っていたけれど、足が悪くなって行けなくなった。家も同じで、愛着はあるけれど、もう住まない。そこに『もう仕方ないよね』と言っても、状況は解決しないんです」

一方で、ただ石を撤去して更地にすれば解決するわけでもありません。お墓じまいという行為には、「先祖のご遺骨を掘り起こし、自分の都合で移動させてしまう」という罪悪感を抱かせることがあります。

「その人が引っかかっているのは、先祖に対する申し訳なさなのか、未来の子どもたちへの配慮なのか。引っかかりの向きは人によって違います。どう解釈すれば納得できるのかを、探していく必要があります」

思い出を語った後で、納得できたこと

たとえば、前田さんが関わったお墓じまいで、こんなことがありました。

お墓じまい後の納骨先は決まっているものの、そこに何柱のご遺骨が入っているのかがはっきりしません。わかっているのは3柱だけ。納骨先からの提案として、わからない分を「先祖代々」としてまとめ、1柱と数える選択肢が示されていました。

「先祖代々でいけるんだったら、わかっている3柱もそこにまとめてしまっていいんじゃないか。そう思っているんだけど、どう思いますか、と聞かれたんです」

前田さんが「わかっている方たちとはどういう関係の方だったんですか?」と聞くと、その人から一時間ほど思い出話が続きました。話し終えた後、その人は「3柱は別々に名前を残し、わかっていない分を1柱として納める」ことに決めたといいます。

「自分の中に鮮明に残っている人たちを、先祖代々にひっくるめて安く済ませるのは、なんだか申し訳なくなってきた、と。

損したと思わないためには、納得して納骨費用を払う必要がある。そのためには、一人ひとりとのつながりがあったことを思い出すことが大事だったんだと思います」

「終わらせた」ではなく、「ここまで守った」

ひとつずつ納得を重ねても、お墓を維持できなくなったこと自体は変わりません。そのことは、どのように受け止めればいいのでしょうか。

「お墓を今まで通り維持できないというのも、ひとつの変化なんですよね。毎年家族でお墓まいりに行って掃除をしていたけれど、年齢を重ねてそれが難しくなっていく。これは仕方のない変化です。その変化に応じて必要な手を打つ。そのひとつが、お墓じまいかもしれません」

人口が減り、高齢化が進む中で、今まで通りに維持できなくなるものはお墓だけではありません。地域の自治会が担ってきたお寺や神社の清掃も、以前ほどには行き届かなくなっていることが、あちこちで起きています。

「それを全部『悪いことだ』にしてしまうと、世知辛い風潮になってしまう。この時代において、それはかなりしんどいんじゃないかと思うんです」

跡継ぎがいない。遠方で通えない。理由を尋ねれば、返ってくるのは一つひとつの家の事情です。けれど、それが10年で倍になるほど起きているとすれば、変わったのは個々の家庭ではなく、家族や地域のかたちのほうなのかもしれません。

「そもそも、石という、扱いづらいものをお墓にしてきたわけですよね。それ自体が時代に合わなくなってきたということでもある。個人が責任を感じることではないと思うんです。

ここまで守ってきました、ありがとうございましたと感謝を持ちつつ、これからの未来を考えたときに、お墓がないほうがよく生きられると思ったのであれば、手放すことは悪いことではない。必要な変化を、順当に行っただけです」

「自分の代で終わらせてしまった」という罪悪感は、従来型の価値観から来るもの。けれどそれは、「自分の代まで守った」と受け取ることもできます。どちらが正しいかではなく、同じ出来事をどちらの言葉で受け取るか、という違いです。

続けるために、やめる

また、前田さんは縁をつなぐという視点から、「続けるために、やめるというのもある」と語ります。

「たとえば、遠方にあるお墓を頑張って自分が守り続けたとしても、次の世代はそこまで行けない可能性が高い。

墓石というかたちをやめたとしても、違う弔いの場に移せば、先祖とのつながりが絶たれるわけではありません。今の暮らしに合ったかたちに再編集していくこともできます」

お墓じまいが、縁をつなぎ続けるための手段にもなる。避けられない縮小を引き受けたうえで、それでも何を残し、どうつなぎ直すのかを考える。前田さんはそれを「墓の縮充」と呼んでいます。

そう考えていくと、お墓じまいを「するか・しないか」という問いではなく、どういうかたちなら、縁を「つなぎ続けられるか」に変わっていくのではないでしょうか。

かたちが変わっても、変わらないもの

石のお墓というかたちが暮らしに合わなくなったとき、手を合わせる場所はどうなるのでしょうか。

「手を合わせる場所が、家なのか、海なのか、森なのか。墓石から対象が変わっていくということだと思うんです。若い世代でも、初詣には行きますし、家族でお墓まいりに行こうと言われれば行く。手を合わせること自体に抵抗がある感じは、あまりしないんですよね。

だからお墓じまいは増えていくけれど、故人に手を合わせる場所がなくなっていくということにはならないんじゃないかなと思います」

これからお墓じまいを考える人へ、かける言葉はありますか。最後にそう尋ねると、少し間を置いて、前田さんは「言葉がないなと思っていて」と答えました。なぜお墓じまいをするのかによって、かけるべき言葉は変わってしまうから。そのうえで、伝えたいことがあるとすれば。

「善悪で判断できるものではない、というところでしょうか。罪悪感を抱えてしまうのは仕方のないことだから、それがあることを否定しませんし、罪悪感を持つ必要はないんですよ、とも言いません。

ただ、罪悪感一辺倒である必要もないんです。守るために畳む、ということでもあるので。心の波風が立たない、自分なりの解釈を見つけていけたらいいと思います」

お墓じまいは、過去を切り捨てることではありません。故人を想い、手を合わせる心が消えるわけでもない。今の暮らしに合わせて、縁をつなぎ直していくこと。そう捉えることも、できるのではないでしょうか。

 

※1
厚生労働省「令和6年度衛生行政報告例」(生活衛生・第6表 埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数)
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040359174

※2
8万3,574件
厚生労働省「平成26年度衛生行政報告例」(生活衛生・第6表 埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数)
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031322505

プロフィール

前田陽汰
株式会社むじょう 代表取締役

2000年生まれ、東京都出身。島根県立隠岐島前高校卒。2019年に慶應義塾大学総合政策学部に進学。清水唯一朗オーラル・ヒストリー研究会に所属し、「終わりという変化」に優しい眼差しを向けるための研究を行う。2020年に株式会社むじょうを設立。3日で消える追悼サイト「葬想式」や自宅葬専門ブランド「自宅葬のここ」の運営といった葬祭関連事業のかたわら、死んだ父の日展、棺桶写真館などの作品を手掛ける。


文:南澤悠佳