“食べ残し”が森を豊かに育てる―森林資源学・石井教授に学ぶ自然の循環
食べ残し。
その言葉から、どんな場面が思い浮かぶでしょうか。
私たちの普段の暮らしでは、どこか「もったいない」という気持ちを抱えながらも、やがては捨てられてしまうもの。そうした少しネガティブな印象が伴います。
けれど、視点を変えてみると、同じ「食べ残し」がまったく別の意味を帯びる世界があります。森の中では、この“食べ残し”こそが命を育む循環の要なのです。その仕組みについて、神戸大学で森林資源学を専門とする石井弘明教授に伺いました。
食物連鎖によるエネルギー循環はわずか10%

石井教授によれば、森林生態系において、食物連鎖によるエネルギー循環は10%にも満たないといいます。
石井教授:
昆虫が葉をかじったり、花の蜜を吸ったり、果実を食べたり。その程度で、木が丸裸になるほど食べ尽くされることはほとんどありません。つまり、森では毎年大量の食べ残しが生まれるわけです。
それが、落ち葉や枯れ枝となって地面に積もっていく。これらは微生物や土壌動物など、分解者の餌となります。いったん彼らの体に取り込まれてから、最終的に無機物まで分解され、水に溶けて再び木の根に吸収されます。
この土に還って再び植物に吸収される循環(腐食連鎖)のほうが森のエネルギー循環の大部分を占め、森の生態系が成り立っているのです。
命をつなぐ、リスのささやかな"忘れ物”

秋の森を歩くと、落ち葉とともにたくさんのどんぐりが目に入ります。
石井教授:
どんぐりは、そのままでは乾燥して芽生えることができないため、土に埋める必要があります。誰が埋めると思いますか?
リスや野ネズミがドングリを持ち去り、土に埋めて貯食するんですね。彼らはどんぐりをいっぱい持ち帰り、どこかにまとめて埋めます。
ところが、時々どこに埋めたのかを忘れてしまいます。その忘れられたどんぐりが翌春に芽を出し、新しい木へと育っていく。これも、森が受け取る大切な「食べ残し」です。リスや野ネズミの食べ残しが、次の世代の樹木を育て、命の循環に貢献しているんです
森にとって100年は「まだ赤ちゃん」

どんぐりから芽生えた木が成木になるまでにはおよそ50年、森が成熟するには100年以上もの時間が必要です。
石井教授:
100年は人間の感覚では長い年月ですが、森にとってはまだ若く、赤ちゃんのようなもの。真野寺のシンボルツリーのクスノキも推定樹齢は100年弱です。
以前、テレビで見たと思うのですが、『となりのトトロ』の小トトロは約110歳、中トトロは約680歳、大トトロは約1300歳といった設定を目にしました。これは私の想像ですが、宮崎駿監督は人間とは異なる時間の流れを描こうとしたのかもしれません。

残された幹からも次の命が芽吹く
森が長い時間をかけて姿を変えていくという点では、木の再生もその一つです。
真野寺の森の埋葬エリアの近くでは、シンボルツリーのクスノキ以外にも、切り株から複数の幹が伸びている木を見ることができます。クスノキやスダジイは特に萌芽更新(ほうがこうしん)が盛んな木で、切り株の根や幹に残った力を使って再び芽吹こうとするのだとか。

石井教授:
幹が五つに枝分かれしたスダジイは、かつてヒノキを植林する際に一度切られ、その切り株から再生したのではないでしょうか。今見えている幹の1本1本は、おそらくまだ20〜30年ほどだと思います。
このように幹が複数に分かれて成長していく背景には、切り株再生だけでなく、「動物散布」もあります。リスや野ネズミがドングリをまとめて埋めたり、鳥が果実などを食べた後、消化されなかった種子を糞と一緒に排出する。それらがまとまって芽吹いた結果、木がまとまって自生することもあります。これもまた、森における循環の一つです。
私が学術パートナーとして関わっている循環葬では、人が亡くなった後、ご遺骨をパウダー状にして森へと還していきます。こうした営みは、私たち自身も“自然の循環の一部である”ことを思い起こさせてくれます。
自分がいなくなった後の世界に、少しでも良い環境を残していく。そのことを、科学的にも感覚的にも、自然と腑に落ちるかたちで示してくれるのではないかと感じます。
千葉・真野寺で出会えるスダジイのどんぐりとクスノキの落葉

循環葬®︎ RETURN TO NATUREの拠点である千葉・真野寺では、憩いのエリアのデッキの後ろにブナ科の常緑広葉樹であるスダジイが立っています。
スダジイのどんぐりは少し珍しく、いわゆる帽子を被ったものではありません。実全体を包む薄い殻が熟すとバナナのように裂ける「バナナハット」のような形が特徴です。足元にも目を向けると、森の循環を支える、ささやかな“食べ残し”の物語にも出会うことができます。
ほかにも、クスノキの葉からはレモングラスのような香りが、クロモジの枝からは気持ちが落ち着く優しい香りが漂うなど、五感を使って森を歩くと、そこに息づく循環の気配が、より身近に感じられるはずです。
文:南澤悠佳