すべてはつながりの中で。山と「一つになる」 ― 千葉・真野寺住職 伊藤尚徳さん

30歳までは自分のために、30歳を過ぎたら家族やお寺のためにーー。
これは、千葉県南房総市の真野寺で住職を務める伊藤尚徳さんが掲げてきたモットーです。伊藤さんが僧侶の道へと進むことになったのは20歳のとき。父である極楽寺(鋸南町)の住職が亡くなり、お寺を引き継ぐことになりました。
「お寺の仕事などを深く知る前に、やるしかない状況でした。そのときどんな気持ちを抱いていたのか、覚えていないほどです」と、柔らかな表情で振り返る伊藤さん。
大正大学や国際仏教学大学院大学での学び、インドへの旅やインディーズバンド活動。お寺の仕事をしながら重ねた多様な経験は、どのようにして「循環葬® RETURN TO NATURE(以下、循環葬)」への共感に結びついたのでしょうか。
音楽も旅も、住職として生きる糧に

伊藤さんが30歳を一つの区切りとした理由について、伺えますか。
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- 私は20歳でお寺を継ぎましたが、研究や音楽といった、自分の興味にできる限り取り組んでおかないと、いろんなことが中途半端になってしまうと思ったんです。
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- もともとお寺を継ぐつもりはなかったのですが、高校時代に父が病に倒れたことをきっかけに、後を継ぐことを決めました。その後、大学を休学して18歳で智山専修学院に入り、修行を終えて住職資格を得ました。
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- 高校時代から仲間と音楽活動もしていたのですが、修行の間も仲間は私の帰りを待ってくれていたんです。修行を終えて音楽活動を再開しましたが、お寺の仕事も忙しく、思うようには進みませんでした。
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- そこで「30歳までは自分自身を磨くための修行期間」と区切りを設け、そのときに抱いていた夢や、やりたいことに挑戦しようと決めました

「やりたいこと」と「やるべきこと」の比重において、まずは前者に重きを置かれたのですね。
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- 早くからお寺の世界だけで生きると、考え方や価値観が偏ってしまうのではないかとも感じていたんです。若かったこともあり、「つまらないお坊さんにはなりたくない」という気持ちも抱いていました(笑)。だからこそ、社会経験や旅、人との出会いを通じて広い視野を持とうとしました。
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- お坊さんになると、多彩な方と出会い、話す機会があります。僧侶やお寺の人と聞くと、何となく異世界の人と思われ、少し距離を置かれることもあります。でも、「コーヒーショップでアルバイトをしていました」「海外を旅していました」という話をすると、意外性に驚かれたり、共通点も見つけていただいたりして、心の距離が縮まることがありました。
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- いろんな業種の人と出会い、さまざまな経験を持つ人と話し、縁を深める。そんな出会いを求めて、積極的に外に出ていました。
山と一つになる感覚が教えてくれたこと

伊藤さんは修験道にも力を注いでいます。それはどのようなきっかけからでしょうか。
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- 30歳までは自分のために、といいながらも、心のどこかには常に“住職としての自分”がありました。
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- 智山専修学院での修行を終えると、自分から求めない限り修行の道は開かれません。修行をせず、法事や葬儀だけに関わるお坊さんの姿を見て、「これでいいのだろうか」と葛藤していた時期でもありました。
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- そんなとき、柴燈護摩(さいとうごま)法要を行う寺院に手伝いで呼ばれ、初めて修験道に触れました。修行に勤しみ、真摯に祈りを捧げる。その姿が本当に素晴らしいと思い「私も仲間に入れてください」と伝えました。

それは20歳前後でしょうか。
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- そうです。それ以降、年に1〜2回は修行仲間と共に山に入り、伝統的な修行を続けています。
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- ちなみに、修行といっても、一般的にイメージされるような滝に打たれるようなものではありません。奈良県の吉野から和歌山県の熊野本宮大社まで、南北に連なる大峯山系を歩き通す「大峯奥駆け修行」と呼ばれるものです。途中、靡(なびき)と呼ばれる聖地が七十五箇所あり、そこで祈りを捧げながら進んでいきます。

山を歩くことで、ご自身の物事の捉え方に何か変化はありましたか。
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- 日常から離れ、街の騒音もない中で過ごすと、心が洗われる感覚があります。お坊さんが求めるべき心の平穏が得られるといいますか……。
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- 森の葉が風に揺れる音、澄んだ空気、頭上に広がる空。それらが自分の内側と共鳴するような感じでしょうか。修験道で山に入るのは、山を「征服する」「制覇する」ではなく、「山と一つになる」感覚です。この感覚は多くの人に知ってもらいたいですね。
伝統を敬いながら、新たな可能性を受け入れる

修験道を通じて自然に触れる経験が、循環葬® RETURN TO NATUREへの共感につながったのでしょうか。
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- まさに、山や森に対する価値観が重なったからですね。真言宗や密教の修験道の人たちは、森や山、あるいはその向こうの大自然や宇宙そのものを、仏、人智を超えた存在として捉えます。
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- また、古代においては亡くなった人の亡骸は山の裾野に葬られました。山は神々の領域とされ、亡き人の魂は徐々に山の上へ登っていき、その過程で浄化され、祖神となると考えられました。そして田の神や、山の神と習合し、里に恵みをもたらす存在となります。それは大自然と一つになった先祖の姿です。
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- 私が修験道を経験して感じてきた日本人の山への文化的・精神的なまなざしは、「自然に還る」という循環葬の理念と響き合うものでした。だからこそ、すっと受け止められました。歴史ある寺院の境内地で新しい試みを始められるのは、大きな価値があると思います。

伝統と革新のバランスについてはどうお考えですか。
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- 新しい試みを始める際に大事にしていることは、お寺を場として先祖たちが紡いできた歴史や信仰、伝統といわれるものを、果たして現代という時代のフレームにおいて語り直すことができるかどうかということを考えます。
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- 循環葬は「自然に還る」という考え方に立っています。これは私が修験道で体験してきた「山と一つになる感覚」や、真言宗の自然そのものを信仰の対象とする思想と深く重なります。 また、真野寺の境内にはもともと墓地がなく、そこに墓標が並ぶことによって自然の景観が失われることには抵抗感がありました。でも、墓標のない循環葬ならその心配はありません。

がらりと変えるわけではなく、過去とのつながりを考慮し、新しいものを受け入れていく、と。
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- そうですね。2500年にわたって伝えられてきた仏教は、教えや理念は変わらずとも、その実践や思想は、地域や文化、時代に応じて変容しつつ発展してきました。お寺の歴史も同じで、先人たちが残してきたものを壊したり、革新的に変化させたりする必要はありません。
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- かといって、ただ、古いものをそのまま残すだけでは、社会の変化に対応できないこともあります。そのときは、お寺の歴史や先人の思いと重なる部分を見出し、今に合わせて語り直す。そのグラデーションが大切だと思います。
死も生も、自然の循環の一部として

初めて循環葬の埋葬に立ち会ったとき、どのように感じられましたか。
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- 「なんて優しい光景だろう」と。
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- パウダー状になったご遺骨を、ご家族が「きれいな骨だね」と声をかけ合いながら森の土と混ぜ合わせ、土に還す。納骨というと一般的には葬儀の一環として形式的にカロートへ納める場面を想像しますが、木漏れ日の差し込む森でご家族の手によって、お骨が自然に還される場面は、とても温かく感じられました。
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- 死は無機質で生から断絶されたものではなく、自然の循環の一部であるーー。そう実感できた時間でした。

今後、人と自然の関わりはどうなっていくのが理想だとお考えですか。
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- 「自分」という存在は自分だけでは完結せず、人智では計り知れない大きな営みの中にあるという一体感のようなものに、少しでも目を向けてもらいたいと思いますね。
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- 「これが私」「私が大事」という分別や認識は、私と他者を切り分けます。仏教では無我と言いますが、本来は自分というものが明確にあるわけではなく、自然の大きな循環の一部として命があるんですよね。
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- 生きていると、人間関係のしがらみや社会の仕組みの中で苦しさを感じることもあります。でも、「自分は自然の一部にすぎない」と捉えることで、目の前の世界の見え方が変わってくるのではないでしょうか。
真野寺のおすすめスポット

本堂の前の広場
いわゆるパワースポットなのか、私はここに立つと、何かに包まれるような感覚になります。本堂と、その向こう側にあるモミの木、そしてさらに上へと視線を向けて、天空を見渡す。静かにそっと目を閉じて、不思議な感覚を味わってみてください。(伊藤さん)
プロフィール

伊藤尚徳
南房総市真野寺の住職を務めるほか、鋸南町の円照院・極楽寺・往生寺の住職を兼務し、各寺の復興に力を注ぐ。
修験道の入峰修行を契機に唯識・華厳思想への関心を深め、国際仏教学大学院大学で博士(仏教学)を取得。30歳の節目には、真言行者の二大練行とされる八千枚護摩供、虚空蔵求聞持法を修行。
地域に根ざした実践として、円照院では「火渡り法要」を復興(毎年1月第3土曜日)。真野寺では2019年より、毎月6日に朝日開運大黒天の縁日を開催して、祈願法要が務められ、境内では「開運マルシェ」を展開している。伝統を受け継ぎながら、新しい試みを通じて地域とのつながりを育んでいる。
文:南澤悠佳