荒れ果てた森が生命の循環する森へ。2nd Field千葉・南房総にみる「森をつくる取り組み」

循環葬の森

枯れ木が立ち並び、緑がまばらだった森が人の手によって生まれ変わっていくーー。

千葉県南房総市に位置する「真野寺」は、海と山に囲まれた土地で1300年の歴史を誇る古刹です。ミモザや桜、紫陽花など、四季折々の花が咲き誇り、「花と開運の寺」として人々に親しまれてきました。

季節ごとの美しさをみせてくれる光景とは裏腹に、寺の森の一部は手入れが行き届かず、枯死したヒノキが立ち並ぶ荒れた状態でした。

「広大な敷地の管理が大きな課題」と真野寺の伊藤住職が話すように、その維持管理は広い森を所有する寺社にとって大きな負担となっている現状があります。

こうした課題を持つ寺社の森が、生命の循環する森へとどのように生まれ変わっていくのでしょうか。循環葬®RETURN TO NATURE(以下、循環葬)を通じて再生される「森づくりの姿」をご紹介します。

森を再生し、命が循環していく

今回、循環葬の拠点となったのは真野寺の「ポタラの森」です。

サンスクリット語の「Potalaka(ポータラカ)」に由来し、観音菩薩の浄土「補陀落(ふだらく)」を意味します。この森を循環葬の森として整備したことで、2つのエリアが生まれました。

それぞれのエリアの概観図
憩いのエリアにあるデッキからは、シンボルツリーのクスノキを眺めることができます

植生が豊かな天然の照葉樹林が広がる場所は、おまいりに来た方が森林浴などを楽しめる「憩いのエリア」に。隣接する人工のヒノキ林は、埋葬に適した勾配や空間であったことから、「埋葬エリア」へと姿を変えました。

特に埋葬エリアは、植生調査の結果、多くのヒノキが枯死していたり、枯れかけていたりしたことがわかりました。そのため、これらを伐採し、真野寺の植生に適した樹種を選んで移植や補植を行っています。

BEFORE:手つかずで荒れていた人工林の一角
ランドスケープ計画の様子
半年かけて、伐採や植栽を進めていきました

手を加えすぎず、かつ殺風景でもない。そのバランスをみながら、場所に適した植栽を行うことも、森づくりには欠かせない要素の一つです。

AFTER:循環葬の森とする整備により、埋葬エリアの種多様性は約2倍になりました

憩いのエリアと埋葬エリアを結ぶ遊歩道の枕木やウッドチップは、伐採したヒノキを再利用したもの。森の中で生まれた資源を、森の中で循環させています。

おまいりに訪れたら、まずは憩いのエリアにあるウッドデッキに座り、森で思い思いの時間を過ごしながら、故人に想いを馳せる。そうした時間を過ごしたのち、シンボルツリーでもあるクスノキ(推定樹齢100年弱)の横を通りながら、その奥の埋葬エリアへ。

さらに、足を伸ばして森の裏にある真野古道へ向かうと、推定樹齢300年のカシの巨木など、貴重な樹木とも出会えます。

100年後、200年後を見据えた森づくり

私たちが森づくりで目指しているのは、「森も健やかに、人も健やかに」いられること。こうしたありかたを実現するために、整備にあたっては森林資源学の専門家をアドバイザーに迎え、ランドスケープの専門家が人の居心地を設計しています。

両方の視点を組み合わせるからこそ、森を育てながら、おまいりに訪れた方が故人を静かに想える空間を生み出すことができます。

「今」整えたばかりの森は、20年後には移植した樹木や新たに植樹した真野寺の在来種が成長し、隣接する天然林と調和していきます。50年後には、下草刈りや間伐、植樹と人の手も借りながら、リスやノネズミが運んだどんぐりなどによって多様な樹種が共存できる環境へ。

そして100年後には、シイやカシの巨木が点在し、安定した生態系が生物多様性を育んでいき、人の手を借りずとも様々な世代の樹木が混在する原生林に近い森へと変わっていきます。

共に森を育み、新たな命を未来へ受け渡す

一度荒れ果てた森を再生するには、百年単位の歳月が必要です。さらに、森林の保全・再生には当然のことながら費用がかかります。

循環葬で自然に還る営みは、単なる埋葬方法にとどまりません。森林保全と収益性の確保を両立し、持続可能なかたちで未来の森を育てながら「生命が次の世代や森へと受け渡されていく」ことへとつなげていきます。

埋葬エリアの裏側にある真野古道は、今回の循環葬の整備をきっかけに人が再び入れるように整備を行いました。真野寺には、ほかにも古道が残っているといわれています。

今後はフォレストメイト(ご契約者の方)や、森林保全に関心を寄せる地元の人々と協力し、さらに森を整えていく予定です。

100年後、200年後。この森を訪れた人が木漏れ日の下で深呼吸をし、受け継がれた命と物語を感じるーー。そうした未来の光景を、この森は静かに育んでいくのではないでしょうか。


 

文:南澤悠佳