まわり道の先に出会った、森と新たな葬送ー能勢妙見山副住職・植田観肇さん

循環葬の森

「宗教に対して猜疑心があり、僧侶になることに腹落ちできていなかったんです」。

こう語るのは、能勢妙見山の副住職である植田観肇さん(以下、観肇さん)。能勢妙見山の本院である眞如寺の生まれながら、僧侶としての道を歩み始めたのは30歳手前。

それまでは、キリスト教主義教育を行う大学で学び、国内大手電機メーカーでデジタル放送の最前線に携わっていました。

一見「まわり道」とも思える歩みが、どのように企業から仏門へ、そして循環葬® RETURN TO NATURE(以下、循環葬)へとつながっていったのでしょうか。お話を伺いました。

日本のお寺は、人々に必要とされているのだろうか?

観肇さんが宗教に対して猜疑心を抱いていたのには、どのような背景があったのでしょうか?

お寺は身近な存在だったものの、「宗教は人々に本当に必要とされているのか」という気持ちがありました。当時のある新興宗教による衝撃的な事件や、お葬式での僧侶へのネガティブな眼差しなども影響しているかもしれません。だから進学先は、あえて仏教とは別の道を選びました。
父は住職ですが、その道に進めと言われたこともありません。でも、祖父が亡くなる前に「総本山での修行はしてほしい」と言っていたこと、親からも「修行だけは」と言われたことで、大学4回生のときに日蓮宗の総本山・身延山久遠寺での修行は終えていました。それでも僧侶として生きてゆこうとは思えなかったんです。
さらに、父に同行してイタリアを訪れたとき、小さいながらも荘厳な教会が地域の人に愛され、大切にされている姿を目にしました。対して、日本のお寺はそうではない気が……。むしろ「やっぱり企業に就職しよう」と意思を固めたくらいです(苦笑)。

大手企業のリストラと、遺族の言葉が導いた転機

国内大手電機メーカーに約6年勤めていらっしゃいました。どのような心境の変化から、仏門へと進むことになったのでしょう?

ちょうどその頃、企業内で大規模なリストラが行われました。10人で担っていた業務が、私一人に。海外赴任や別部署への異動の打診もありましたが、「企業はこんなにも簡単に人を切るのか」「あっさりと人の替えがきくなんて、歯車以下なのかもしれない」という気持ちがありました。
また、同じ頃に大切な家族を亡くされるなど、会社の同僚で死に直面される方が何名か周りにいらっしゃいました。私は、自分の実家がお寺であることは限られた人にしか話していなかったのですが、それをご存知の方から「お坊さんに救われた」という言葉を聞く機会が重なりました。
世の中には宗教を必要としてくれる方がいるーー。この実感を持てたことがモヤモヤとしていた気持ちをほどき、僧侶として生きることを決めました。

森を守るため、「森林葬」に可能性があるのではないか

現在は副住職をされながら、「能勢妙見山ブナ守の会」のメンバーとしても活動されています。境内に一万年前からあるとされるブナ林に対する関心は、以前から持っていたのでしょうか?

実は、まったく興味がなく、そもそもブナがどこにあるのか、どういうものかもわかっていませんでした。
ところが、ブナ林に足繁く通われていた兵庫県立大学名誉教授の服部保先生から「お寺で守ってくれないか」とお話をいただきました。
一緒にブナ林を見に行きましょうと誘われても、インドア派の私はなかなか重い腰が上がらず……。業を煮やした服部先生から「一回でいいから森に入ろう」と強く言われ、山頂近くのブナ林に少しだけ行くことにしました。
そこは日頃から掃除をしているところで、ふと見ると雑草が生えていました。抜こうとしたら、服部先生が「それはブナです!」と。
スーツが汚れることも気にせず、苗を一生懸命守ろうとする姿に心を打たれまして。それで「守っていこう」と思いました。

そこから、森との関わりが生まれたのですね。

ブナは苗を採取して育て、適地に植え替えて保護していきます。NPO法人森林再生支援センターの高田研一先生と森の中を一緒に歩き、どこにどんな植物があるのかを徹底的に観察しました。
土壌や植生など、ブナの育て方を丁寧に教えてくださり、大手メディアのご支援もいただいたことで「能勢妙見山ブナ守の会」も立ち上げることができました。
ただ、ブナの苗を鹿の食害から守る柵の設置には数十万円かかりますし、保護活動を続けるには継続的に資金が必要です。森の整備をするなかで、森林保全の難しさも痛感していました。
「森自体がお金を稼ぐ方法はないか」と考えていたところ、ブナ守の会員さんから「私が亡くなったらここにまいて」と言われました。それをきっかけに「森林葬」という発想に至りました。

森林葬から循環葬へ、つながる想い

循環葬の第一拠点となる前に、観肇さんご自身も同様のことを構想されていたのですね。

ところが、新型コロナウイルスが流行し、お祭りなどの既存行事が行えなくなりました。そうした状況下で新たな事業を立ち上げることは難しく、行動には移せていませんでした。
2022年頃、知人僧侶から森林埋葬の事業を考えている人がいると、at FORESTの小池さんと正木さんを紹介されました。初めてお二人とお会いしたときは「お寺らしからぬ人が来たな」と、正直訝しんでいました(笑)。

その第一印象から、一緒に取り組もうと思えたのはどうしてでしょうか?

小池さんの自分の信念を貫こうとする強い想いですね。ご自身の体験から「自分が入りたいと思えるお墓がないから、つくりたい」と。
私は森がお金を稼いでくれたらと考えていたので「立場が逆じゃないか」と思いつつ(苦笑)、お話を聞きながら目指している方向性が一緒だと感じました。
それに、何かを新しく始めるのに、どんなに仕事ができる人でも熱意がない人だと難しい。お寺の運営でパートナー探しの難しさは実感としてありましたし、「やりたい」と強く想っている人と取り組むのが一番いいと考えていました。

墓標はいらない!? その驚きから能勢の歴史を紐解く

一緒に取り組むにあたって、課題もありましたか?

1つは、埋葬場所です。当初はさまざまなリスクを考慮し、簡単には入れない山の奥がふさわしいと考えていました。検討を進めていくうちに、駐車場から近い現在の場所に落ち着きました。
お参りしやすく、昔からの小さな墓地エリアですので、新たにご遺骨を埋葬することになっても周囲からのネガティブな反応はありませんでした。
もう1つは、シンボルツリーが枯れてしまった際にどうするか、でした。私が考えていた森林葬は、日本で初めて樹木葬を始められた岩手県の知勝院さんを参考にしていたこともあり、墓標としてシンボルツリーが当然あるものだと考えていました。
ところが、小池さんから「墓標はないほうがいい」と言われて非常に驚きました。墓標を置かない選択肢は、自分の中にまったくなかったからです。
はたして、そのあり方は能勢妙見山として受け入れてもいいものか……。
そこで能勢の歴史を紐解くと、能勢では戦後まで土葬の文化があり、ご遺体を埋葬する「いけ墓(埋め墓)」と、お参りをするための「詣り墓」の2つがありました。
いけ墓(埋め墓)は、能勢でも地域にもよりますが、埋めたところに墓標などを立てないところがあるんですね。土饅頭のようにぽこっと盛り上がっているから、見ればわかるとのことで。寺院の総代会で循環葬の説明をした際にも、「それはいけ墓ですな」とすんなり納得していただけました。つまり、循環葬は昔からある形に通じるのです。
昔は必ずしも各人の墓標があったわけではなく、あっても長男などの限られた人といったことも多かったようです。墓標や墓石がないからといって、成仏できないわけではありません。「墓標がなくても、仏教的に問題はない」と、納得できました。

「多様な価値観」を肯定する、生きる希望となる一つの選択肢

疑問を丁寧に調べ、新しいあり方を受け入れていく。こうした姿勢は、過去の経験も影響しているのでしょうか?

そうですね。私自身が仏教一筋ではなかったので、それ以外の考え方があることを当たり前に感じているのかもしれません。
以前、アメリカの寺院で男性の僧侶を訪ねた際、「ご結婚されている」と聞いていたので、男女の夫婦を想定してお土産を用意していたんです。
ところが、お相手は男性だったんですね。自分は無意識に「結婚=男女」と思い込んでいることに気づかされました。
「多様な価値観がある」ことに対して、そうした出会いを通じて自分なりに向き合ったことがあるから、受け入れられているのかもしれません。

観肇さんは、今後社会がどのようになっていったらいいなと考えますか?

どんなに大変なことがあっても、人に対しても自然に対しても思いやりをもてる社会になったらいいなと思います。
人間社会であれば、お互い敬意を持ち、それぞれが負い目を感じず生きられる社会になって欲しいと思いますし、ひいては自然も含めて敬意を持って接することができる社会であって欲しいと思います。
それには、人も自然も何かしら関わりを持てることが大事ですが、その機会をどのように生み出すかはとても難しい問題です。ブナを守る活動や循環葬が、そのきっかけの一つとなったらうれしいですね。
循環葬でいえば、全ての人にとってのベストな葬送方式ではないと思います。けれど、従来のお墓に違和感を抱いている人や、法的な夫婦以外のパートナーと一緒に眠りたいと願う人にとって、重要な選択肢になり得ます。
日蓮聖人は「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と説かれました。どう死ぬかを考えることは、どう生きるかを考えること。循環葬が、人々の「安心(あんじん)して生きること」につながっていければと願っています。

 

能勢妙見山のおすすめポイント

冬の大阪湾の景色

晴れた日には、山頂付近にある展望デッキから大阪湾を見渡せます。冬は空気が澄み渡り、特に美しいです。個人的には冬の12時~13時頃の水面が光っている様子が好きです。(観肇さん)

プロフィール

植田観肇

日蓮宗霊場 能勢妙見山 真如寺 副住職
能勢妙見山ブナ守の会 事務局長
京都嵐山妙林寺 住職

国内大手電機メーカーを退社後、世界三大荒行堂の一つといわれる日蓮宗大荒行堂に入行、寒一百日間の結界修行を4度成満。北摂で唯一、妙見山にのみ一万年前から残るブナ林を守る「能勢妙見山ブナ守の会」創設メンバーの一人。ほか、「のせでんアートライン」でアーティストが芸能を奉納する「能勢妙見山芸能上達プロジェクト」、ベトナムのカカオ農家を児童労働やアンフェアなトレードから守る「能勢妙見山チョコレートプロジェクト」など、幅広い活動を行う。


文:南澤悠佳